その昔、私も大学生で、将来何になろうかな?と悩んでいました。
今も悩んでいますが(笑)
それはさておき、大学3年生の時に広告批評(マドラ出版)が主宰していた広告学校と言うところに通ったことがあります。
マドラ出版は天野祐吉さんが作られた出版社で、広告批評は高校生の頃から愛読していた雑誌です。
小規模な出版社で残念ながら今はもうありません。
あの時に活躍されていた編集長の島森さんも白滝さんも創始者の天野さんももう亡くなられていることは本当に寂しい限りです。
広告学校は入りたい人であれば誰でも入学できる半年間だけの学校で、基本的にはコピーライティングを学びたい人が集う場所でした。
主婦、大学生、サラリーマン、現役の広告関係者、デザイナーなど様々な人が集まっている非常に刺激的な場所だったので大学の授業よりも面白かったと記憶しております。
月に2回通うだけで充分お腹一杯の内容でした。
現役のコピーライターの方々に直接教えていただける機会は今考えると本当に貴重なことだったと思います。
特に印象的だったのが鈴木康之さんに教えていただいた「説明文」の話です。
とにかく読んでいる人に誤解が生じないように無駄のない文を書くこと。
これは最も強烈に伝えられたことです。
コピーライターというと華やかなイメージがありましたが、全くそれとは逆の内容だったので目から鱗でした。
伝えたいことをキチンと伝えることが広告の目的であって風変わりなコピーやオシャレさは二の次なのです。
当たり前のことでしたが当時の自分は全く分かっていなかったのでした。
この時に学んだことは今でも役立っていると思います。
一対一の場合でも、一対マスの場合でも同じコミュニケーションであることを意識しなければなりません。
それは例えばAO入試の小論文の場合でも同じですし、保護者様とお話しする場合も同じですし、問題を解答する場合でも実はすべてコミュニケーションなのでした。
設問者がこちらに投げかける問いに対して的確に答えを返すという意味では「コミュニケーション」です。
こちらからあちらへ思っていることを伝える作業はいかなる人間関係においても不可欠です。
そんなことを考えながらこの文章も書いているのでした。
大した内容でなくて申し訳ございませんが。
短文で書くように努力する癖もこの時に付いたものです。
一文が長すぎる文は読み辛いので出来る限り一文を短くするように言われたのでした。
三島由紀夫くらいに日本語を美しく書けるのであれば別だが普通の人は短文で書くべきだと言われたことは今でも思えています。
そんなこんなで今年も終わろうとしているのですが、誰に向けてこれを書いているのかを忘れないようにと思った次第です。
新年は1月4日より再開いたします。
来年もよろしくお願いいたします。