過去に何回か書いたことがありますが、私は横浜Fマリノスを20年以上応援しています。
たまたま大学卒業と同時に横浜の東戸塚に住むようになり、そこに横浜Fマリノスの練習場があったことがきっかけです。
中村俊輔選手、松田直樹選手、川口能活選手、中澤佑二選手、久保竜彦選手ら多くの選手たちが身近にいる環境だったので自然と応援するようになりました。
松田直樹選手に至ってはしばしば近所のコンビニエンスストアで見かけていましたので、親近感は非常にあります。
ヤンキーさながらのスタイルで座り込みながらマンガを読んでいる松田選手を後輩の大島選手や那須選手が所在なさそうに待っている姿が今でも鮮明に脳裏に蘇ってくるものです。
そんな愛する横浜Fマリノスに昨年、宮市亮選手が加入しました。
ちょうど10年前の私は川崎の超不振教室を任されており、その時にたまたま出会った慶応義塾大学の学生が少年サッカー時代に宮市選手と同じチームでやったことがあると言っていたことを思い出します。
その学生曰く、「僕の方が上手かったですよ(笑)」との事です。
本当かよ?
とにかく当時は高校サッカーからJリーグに行くことが当たり前のコースだったので、いきなりアーセナルに行く宮市選手はかなり画期的でしたし、相当な期待をサッカーファンはしたものです。
因みに同じ頃、久保建英選手が10歳でバルセロナの下部組織に入ったこともサッカーファンの間では大きなニュースでした。
将来を嘱望された宮市選手は不幸にも度重なる怪我により出場機会を失うようになり、やがては過去の選手のように思われていたのが実際のところだったと思います。
そんな宮市選手がJリーグに来る、しかも我らが横浜Fマリノスに来るとなった時は「大丈夫なの?」となった人は多かったはずです。
少なくとも私はかなり懐疑的でした。
去年はほぼ話題に上ることもなくシーズンが終わりましたが、今年の宮市選手はちょっと様子が違いました。
点を決め始めたのです。
5月の浦和戦で初ゴールを決めると7月の清水戦、広島戦でもゴールネットを揺らします。
この活躍をポイチも無視することはできず、10年ぶりに日本代表に選出することとなりました。
海外組がいない日本代表ではありましたが、サッカーファンにとってこのニュースは素敵なものだったはずです。
サッカーファンの誰もがときめいたのです。
韓国戦で途中出場した宮市選手が再び怪我でピッチを去り、それが前十字靭帯断裂だったという報せはサッカーファンにとって本当に切ないものでした。
サッカーの神様はまたしても宮市選手に試練を与えたのかもしれません。
サッカーを愛する人々にとって宮市選手が再びピッチに戻ってくることは祈りに近いものがあります。
昨日は鹿島アントラーズとの試合があり、宮市選手はピッチに立つことが出来ませんでしたが試合前のアップ時に全選手が背番号17のユニフォームを着ていました。
宮市選手の背番号17です。
粋なことをするなぁと少し感動しちゃいました。
復活して欲しい!