どうして大磯だったのか

そもそも何故、大磯で個別学習の塾を始めたのかを書きます。

私は大学を卒業するまで埼玉県の鳩山町というところで育ちました。
卒業と同時に横浜に引っ越し、それからずっとなので神奈川県には25年ほど住んでおります。
今気が付きましたが、埼玉県民歴よりも神奈川県民歴が長くなってました…

神奈川県民歴が四半世紀近くなのに大磯に降り立ったことは一度もありませんでした。
通り過ぎるだけ。
箱根に行く途中の西湘バイパスを使う時に海の色が変わり始める辺り。
村上春樹氏が住んでいる(いた?)ところ。
大磯ロングビーチ。

そのくらいの印象しかなく、大磯はほぼ何も知らない場所でした。
もちろん知り合いは一人もいません。
にも拘らず何故その場所で塾をやることになったのか?

シンプルに運命です。

気持ち悪いですか?(笑)
気持ち悪いですね。

すいません。
でも、そうとしか言いようがないのです。

少し長くなるかもしれませんので、ご了承ください。

プロフィールにもありますが、私は個別指導塾の室長歴が長いです。
いつかは独立して自分の教室をやってみたいと思っていました。
それが現実味を帯び始めたのは3年前です。

独立するならばフランチャイズでと思っていました。
既にセルモで独立していた同僚が4人いて、それぞれ順調そうでした。
その影響からセルモ本部に相談したのです。
市場調査の結果、いくつかの候補地を挙げてもらいました。

「海が近く、あまりごみごみしておらず、のんびりしたところ」というのが我々の希望でした。
小豆島なんて素敵じゃない?という感じで二度ほど個人的に行きもしました。
ところが残念ながら小豆島はマーケティング的に厳しかったので諦めることになります。

そんな候補地の中に大磯町がありました。

大磯…

どこら辺だっけ?

5月のとある日曜日のことでした。
セルモ本部との面談から帰宅するとそのままクルマに乗り込み、大磯を目指しました。

たどり着いた時には、完全に日が暮れており、辺りは真っ暗でした。
まずは大磯駅に行ってグルっとロータリーを回ってみました。
「ここが大磯かぁ」
何だか懐かしい雰囲気のある駅前です。
その後、国道一号線を小田原方面に進みました。

しばらく走ったところで適当に信号を右折して、線路をくぐろうとした時でした。
大きなサギのような鳥がクルマの上空を横切るのが見え、次の瞬間、「ババババ!!」という大量の何かがクルマの屋根にぶつかる音がしました。
一瞬何が起きたのか全く分かりません。

すぐにクルマを路肩に停めて、車外の様子を確認しました。

シルバーの屋根の大半に白いペンキのようなものが散乱していました。

一瞬見えたあの鳥の糞が見事に命中したらしいのです。
今でも信じられない事ですが、本当に起きました。
なかなかの確率です。

近くのコンビニにクルマを移動させ水を買い、鳥の糞を洗い流しながら考えました。

「これは縁起のいい場所かもしれない」と。
まさにウン命。

それから毎週のように大磯を訪れました。
次第に町の様子が見えてきました。

そんな中で今の物件と出会ったのです。

その時点では中南信用金庫 国府支店さんが入っており、テナント募集はされていませんでした。
「この物件で塾が出来れば最高だなぁ」と思いながら、周辺を歩いているとすぐ近くに工事現場がありました。
よ〜く見ると中南信用金庫さんの新しいビルを作っていることが分かりました。

「このビルが出来たら、あの物件はもしかしたら空くのかもしれない…」

翌日、直接問い合わせたところ、予想通りでした。
中南信用金庫さんが抜けた後のことはその時点では未定だったこともすぐに分かりました。
こんなチャンスはなかなかないかもしれない…

そんなこんなで我々はこの場所に移住してきたのでした。

今日も笑顔で子供たちと向き合います!