先日、あるお子さんの作品が「幼こ小図工作品展」に選ばれたということで平塚市民美術館に行って参りました。
平塚市内の小学校の1年から6年のお子さんの作品と幼稚園のお子さんの作品が飾られています。
11/12、13、14の3日間だけの展示です。
自分は最終日に伺ったのですが、これはなかなか興味深い体験となりました。
自分には子供がいないこともあり、こういった展覧会に行く機会がありませんでした。
なので幼稚園から小学校の子たちがつくる絵画や立体物を改めて目にすることは全くなかったのです。
壁いっぱいに子供たちが描いた絵が掲出されている様子はある種の懐かしさを私に与えてくれました。
しばらく眺めていて一つの事実に思い至りました。
それは小1の作品が最も自由ではなかろうか?ということです。
何も考えずに感じたままに何かを表現している小1の人たち。
その記録が壁一面に掲げられている感じです。
高学年になるにつれて、その自由さは急速に薄れていくように感じます。
それはある意味で勿体なくもありますが、同時に社会が成り立つ上では不可避なのかもしれません。
無邪気さを維持したまま大人になる人が多過ぎるとそれはそれで何というか大変そうですが。
そんなことないのかしら?
いずれにしても小1の人たちが持っている自由さを保ったままに学年を上がることは不可能なようでした。
それくらいにくっきりとある境界線は存在しているのです。
小1の自由さを保ち続ける方法はないのだろうか?
気が付けば何となくそんなことを考えていました。
これからの教育を考える上でも大きなヒントが隠されているような気もします。











