便利であることについて

一昨日書かせていただきましたが、埼玉に行く機会が多いです。

その関係で必然的に高速道路をいつもよりも頻繁に利用しています。

昨年の8月に10年以上お世話になったプリウスからカローラツーリングに買い替えたにもかかわらずその機能を十分に理解しておりませんでした。

何と呼ぶのかよく分かっていませんが、アクセルとブレーキが自動の状態で運転ができるシステムがどうやら搭載されているのです。(高速道路のみ)

新しいものに腰が重いことは良くないのですが、7か月近く全然それを使っていなかったので今回ついに使ってみました。

結論から言いますと「とても、便利」です(笑)

アクセルとブレーキを踏むことはそんなに力が要らないのでそれほど大したものではないとタカをくくっていました。

ところがいざやってみて気が付いたことはフィジカル的なものよりもメンタル的に楽だということです。

足の下方面に一切気を遣わなくてもよいことがここまで快適だということに気が付きました。

ただ、ずっとこの状態で運転していると段々物足りなくなってきます。

何だかつまらないのです。

これも大きな発見かもしれません。

人間は多少の不便というか、参加している感が欲しいのかもしれません。

バーベキューが楽しいのもこれが原因だと思われます。

自分たちの手でワイワイ言いながら食べる食事は格別です。

これを仮に誰かが全部焼いてくれて、ただ食べるだけでは楽しさは半減以下になるかもしれません。

勉強に関しても、似たようなことが言える気がします。

何でもかんでも人から言われたとおりに勉強している人はある一定レベルよりは伸びません。

自分のアタマで勉強の仕方を考える事が実はかなり重要なのです。

最後は強引に勉強に結び付けた感はあるかもしれませんが、クルマを運転しながら考えたことでした。