「自分」を生きられる幸せ

こんにちは、ヨメです。すいません、第3弾。今回こそ完結します。幼き頃からこれまでの想いを本にでもした方が良い勢いです(^^;

先日のブログで「高校生活は最高だった!」という記事を書きました。先にそちらの記事を読んでいただきたいです。

でも、私は「大人」になってからの方がもっと楽しかった。

「自由」に使えるお金を持てる幸せ

それは、少なからず、自分でお金を稼ぎ、使うことが出来るから。

中学生まで、我が家はお小遣い制ではなく、必要なものは親に頼み、買ってもらうシステムでした。
友達とどこかに出かける時には、いくらかお小遣いを渡されていましたが、使わずに余った分は当然返す。

なので、自分の自由になるお金はありません。よくお年玉をもらった子供たちが嬉しそうに、買いたい物の話なんかしていましたが、うちは親が全て徴収。何かを買ってもらうことはありましたが、それは親の「OK」が出ない限り無理です。

「お年玉もらうということは、同時に、親戚関係に対して、親がお年玉を出している。つまり親が出費して、それが戻ってきている。」そして、「必要なものは揃えているでしょう」というのが我が家の考え。

まあ、私が中学生の頃まで、我が家は自由に使えるお金なんてない家庭でした。「仕方ない。」それを子どもながら分かっていたんだと思います。

高校生でアルバイト出来る人は、「自分でお金を稼いで、自分で(全額でなくても)使える幸せ」を実感するんじゃないかな。高校生のアルバイト推奨派ではありませんが(だって、コスパが悪いから)、お金を稼ぐ経験をすることは大事だと思っています。

合わない人は合わない

学生の時は、どうしたってその地域の学校に通い、決まった範囲の人たちと付き合っていかないといけない。本当は「~しなきゃいけない」なんて事はないけれど、生活行動範囲は狭く、学校生活は「協調性」という言葉で、「合わせられないとダメな人間」っぽい扱い。

閉塞感が生まれても不思議じゃない。

そもそも、大人になったら分かるけれど、合う人なんて、そんなに居ない。
そして、どうしたってうまく付き合えない人は、世の中に居る。

「合わせられない」ことは、ダメなことなんかじゃないです。

私は何度も書いているように家庭が厳しかった。必要以上に親の顔色を見ながら生活をしていたので、「合わせること」「波風を立てないように行動すること」が身に付いてしまった。

でも、表面的に出来ているだけで、実は全然そうじゃなかった。ため込んだものは、いつか噴出します。私はそれが28歳でニュージーランドに行くことを決めてからでした。(それは、また別記事で。って、書くんかい!)

「自分」をもっと大切に扱える時がくる

大人になって、何だかオカシイ、何だかキライ、何だかツライを、少しずつ自分で避ける事が出来た。自分で判断して、それに対しての対処法を自分で決め、実行することが出来た。

もちろん、大人になれば、学生だった頃とは別の悩みもある。

けれど、自分の人生を「自分」を主軸にして、生きられる幸せは、やっぱりイイです。
友達に合わせるのではなく、自分の感覚や考えを大事に出来る時が、来ます。

そして、自分の考えで取捨選択していくうちに、少しずつ、自分が嫌いじゃなくなり、少しずつ、雲が晴れてきます。

中学生はその入口に差し掛かったとこら辺だと思う。深く物事を考えれば考えるほど、溝にはまり、闇は深くなり、自分に自信が持てなくなる。

だけれど、深く悩んで考えるからこそ、人間がサルではなく、人間らしい感情や思いやりに溢れる人になっていくんだと思っています。

人によっては、とてもシンドイ中学時代。時に逃げたり、見方を変えたり、そんなことをしながら、雲が晴れるのを想像してほしいです。必ず晴れるので、それを楽しみにしてほしいです。