今年のJ1は昨年に引き続き、川崎フロンターレの尋常ではない強さを見せつけられる形で終わろうとしています。(4試合を残して川崎の優勝が決定済み)
サッカーに興味がない方には大変申し訳ございませんが、今日は書きます。
昨年の川崎フロンターレからは中村憲剛という偉大な選手が抜け、今年はどうなんだろう?と思っている人たちの心配をよそに川崎は勝ち続けました。
東京オリンピックで脚光を浴びた田中碧選手と三苫薫選手が途中で抜けた川崎は、その直後勝ちきれない試合がいくつかあったものの、しぶとく持ちこたえて今回のフィニッシュとなったわけです。(因みに田中選手は新城高校、三苫選手は橘高校と二人とも川崎の公立では上位校の出身です。ついでに言うと川崎のユース出身の三好選手も新城高校です。川崎のユース上がりの良い選手は文武両道が多いなぁと感心します)
我らが横浜Fマリノスも3位との勝ち点差が現状では8ある中での2位なのでかなり良いのですが、川崎のとんでもない強さの前では完全に霞んでしまうのでした( ;∀;)
ここで勝手に10年前に時計の針を巻き戻します。
当時の私は川崎のブロンクスと言われる地区にとばされその教室を立て直すように上層部から指示されていました。
中学校の女子生徒が二人乗りで午前中にその辺をフラフラしているようなところです。
咥えたばこで・・・
その場所で3年間頑張らせてもらったわけですが、なかなか貴重な経験が出来たと今では振り返れますが当時は複雑な心境でした。
東戸塚で7年培ってきたものはここではあまり通用しないという現実、横浜に対する憎しみにも似た感情をぶつけられる中で見た彼らのフロンターレに対する愛はとてもピュアに見えました。
フロンターレの試合がある週末は夫婦そろってスタジアムに足を運ぶ保護者の方が何人もいました。
彼らにとってのフロンターレは文字通り街の誇りだったのです。
当時はなかなか優勝できない時代でした。
最高でも2位止まりのチームを彼らは支え続けたのです。
そう言った歴史を見ながら育ってきた田中選手や三苫選手、三好選手が日本代表に入ってきていることは本当に感慨深いことです。
ついでに言えば、久保建英選手もフロンターレの下部組織にいたところをバルセロナに発見されています。(ちょうど自分が川崎に関わり始めた頃のことです)
ドイツのシャルケで頑張っている板倉選手も川崎のユース出身です。
自分が川崎にいた頃に小中学校に通っていた世代が日本代表の中心になりつつあることは何となく嬉しいから不思議なものです。
最後まで馴染めなかった川崎と言う土地にたまに行きたくなったりして(笑)
川崎フロンターレほど本当の意味で地域に根付いているチームはあまりないのかもしれません。
そういうチームが圧倒的な強さを見せつけているのですから、川崎の人たちはさぞ喜んでいるのでしょう。
あーうらやましい。
まぁでも、2位だからいいか。ぶつぶつ・・・