思えば長い間、横浜F・マリノスを応援しています。
1999年に横浜市の東戸塚駅が最寄りのところで暮らすようになり、その時たまたま横浜F・マリノスの練習場が近くにあったことが応援するようになるきっかけです。
中村俊輔選手、川口能活選手、松田直樹選手の3人は日本代表でもおなじみの選手でした。
そんな選手たちが練習場で直に見られるのですから親近感は沸くものです。
コンビニで松田選手がいたり、近所のマンションに栗原勇三選手がいたり、パチンコ屋で坂田選手がいたり…
そんなこんなで練習を見ているうちに試合も見に行くようになり、気が付けばホーム以外も行ったりするようになりました。
そうこうするうちに川口選手が移籍したり、降格危機のシーズンがあったり、中村選手が移籍したり、中村選手が戻ってきたり、といろんなことがありました。
中でも松田選手がチームを去って次の年にこの世を去ってしまったことは忘れられません。
他にも様々な思い出があります。
応援し始めて25年も経っていることについ先日、気が付きました。
鹿島アントラーズとF・マリノスの試合を観に初めて新しい国立競技場に行ったことがきっかけでした。
あの頃はよく国立競技場で試合が開催されており、たびたび足を運んでいました。
2014年元日、天皇杯をF・マリノスが勝ちとって以来、あの辺に行くこともありませんでした。
最近はサッカーの試合自体そこまで観に行かなくなっておりました。
去年は一回もスタジアムに行っておりません。
そんなこんなで先日久しぶりに神宮外苑に降り立ち、あの辺りをブラブラした後でサッカー観戦をしたのですが、感傷的になるくらいいろんな記憶が蘇りました。
奥大介選手が味方のウィル選手に試合中に蹴られてウィル選手が退場になったのも国立競技場でした。
中村俊輔選手のサヨナラ試合も国立でした。
柳想鉄選手が私たちを救うゴールを何度も決めたのも国立です。
奥選手も柳想鉄選手も天国に行ってしまいました。
ここまで来たら死ぬまでF・マリノスを応援するのでしょう。
考えてみれば素敵なことかもしれません。