目的を忘れないで辛さを乗り越えること

私事ですが、来週末に埼玉県の鳩山町に住んでいる両親が二宮に引っ越しして来ます。

一年前の今頃には正直言って想定していなかったことです。

そうなったら面白いよねぁとはぼんやり思っていましたが、現実感はありませんでした。

自分たちが住んでいるのは築40年のマンションです。

そこに自分たちが来たのが4年前になります。

昨年の春頃、たまたま隣の部屋が売りに出されていたことからヨメの両親が住むことになりました。

6月に私の母の大腸癌が見つかり、7月に手術しました。

このタイミングでたまたま私たちのマンションの一階の部屋が売りに出されていました。

私の父はリウマチで足が悪く、エレベーターの無い我がマンションに住むとしたら一階が好都合です。

母に万が一のことがあったとして、父が埼玉の鳩山町に住んでいることはなかなか厄介でした。

母が大丈夫であっても、こちらに来てもらうことは良いことだと判断しました。

幸い、ヨメの両親も大賛成です。

そんなこんなで今回の引っ越しが実現することになったのでした。

ただ、八十をこえた父と七十五を過ぎた母にとって今回の引っ越しは相当ハードだったようです。

想像はしていましたが・・・

何しろ物が捨てられないのです。

ヨメやヨメの両親はその点、非常に柔軟でドンドン手放せる人たちです。

それに対して私の方はなかなか苦手でした。

特に私の母は昔の洋服や食器をどうしても捨てられないのでした。

これは相当なストレスだったようです。

こちらに来ることが目的なのですが、どうしても物を捨てる作業は避けられません。

この作業の辛さが、未来の希望を見えなくするくらいにこの年齢の老人には難しいことだったようです。

これって多分子供たちの勉強にも通じるなぁと気付かされました。

勉強しないと志望校には合格できません。

合格したいけれど、勉強するのは辛いものです。

ここでうまくいける人は発想を転換できる人なのかもしれません。

辛いことをいかに楽しめるのか?

やったことはありませんが、山登りも似ているのかもしれません。

辛い坂を黙々と登っていけるのは頂上に着いた時の達成感を求めてのものなのでしょう。

何はともあれ、一週間後にどうなっているのか?

楽しいことばかり考えて乗り切っていきたいものです。